1998年9月6日(日)
第15回 鶴岡100キロマラソン大会
申込者88、参加者??、完走??
天候:はれ、たまに曇り、気温:暑い、湿度:60?(風がある時は気持ち良かった)
記録 11:11:02 完走
周回数 start 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 13回大会 時刻 7:00:00 7:59:23 8:57:21 9:53:44 10:58:18 12:10:24 13:28:18 15:16:33 リタイア - - スプリット - 0:59:23 0:57:58 0:56:23 1:04:34 1:12:06 1:17:54 1:48:15 - - - 15回大会 時刻 7:00:00 8:01:05 9:02:19 10:02:46 11:04:15 12:11:58 13:20:13 14:32:39 15:43:12 16:55:56 18:11:02 スプリット - 1:01:05 1:01:14 1:00:27 1:01:29 1:07:43 1:08:15 1:12:26 1:10:33 1:12:44 1:15:06
グラフにしてみた
グラフ1.周回毎のスプリット
グラフ2.到達距離
2年前の13回大会は最初から飛ばしすぎたおかげで、途中でバテて足が動かなくなって62kmから歩いてしまって、7周で時間を残したまま、リタイヤしました。
今回は、これを反省して、最初から出来るだけペースを抑えて、とにかく11時間を走り抜くようにしました。そうしたら、最後までそれほどペースが落ちること無く、時間的にはぎりぎりだったけど100km走ることができました。ウルトラはスピードよりも、まずペース管理が重要なのだと実感しました。
最終ランナーとしてゴールしたときには、薄暗くなりかけていましたが、それでもたくさんの方が最後まで応援してくれました。本当に皆さんのサポートのおかげです。
今回は時間がぎりぎりで、エイドステーションで楽しむ事は少なかったので、次回は余裕を持って走れるように鍛えて行こう!
先頭 前日 当日 翌日 写真
『鶴岡100kmマラソン行脚紀行』
1998年9月5日(土)
5:00 起床 ホテルの目覚まし時計の音は強烈で、一発で起きた。 5:30 ホテル出発 会場まで歩こうとおもっていた(5〜6km)。バスは早くて7:00。3kmくらい歩いた所で、車が止まった。「どちらまで?乗せていきましょうか?」と声を掛けてくれた人は、大会代表の菊地さんでした。渡に舟。 6:15 会場(黄金小学校体育館)到着 河合さんがいた。前日は17:00に到着して、車中泊だそうで。
他の人はほとんど来ていない。ゼッケン付。この日のために用意したコンピード(まめ防止シール、初めて使う)と、指付き靴下(ムレ防止)。今回はこのおかげで、マメ・水膨れは一切出来なくて、助かった。そうこうしている内、いつのまにかスタート時間。7:00 スタート
(黄金小をスタート)走行中 1周目は自分の時計じゃ62分。とにかく抑えて走った。後ろには2,3人だったと思う。
2周目 Bステの応援はなんじゃ。前回はなかったよなあ。トイレに行きたくなった。トイレに行くのを忘れていた。だから最後は少しとばして60分。2分で小便+水。
3周目 だんだん遅れてくる人を抜き出した。水分はこれまでステーション毎に1杯補給。ポカリと麦茶or水を交互に。
4周目 熱くなってきた。これ以降、水分を2杯ずつ補給。
5周目 足の平が痛くなってきた。ちょっとペースダウン。Bステの連中はすごい。名前まで歌詞に入れて歌ってくれる。通り過ぎた後も。長い直線の所でこう応援してくれると頑張りがいがある。昼ご飯にソウメンが出てたが、食べる余裕が無かった。残り5周で5時間50分。7分/kmのペースで行けばなんとかなるかなと。ほんとに大丈夫か?
6周目 タイムアップは90kmを10時間、98.5kmを11時間、だから7分/km+αでいいんだ。(この頃の姿→)
7周目 前回歩き出した62kmを通過。まだ、40もあるのかと思うとイヤになった。でも、今度いつ来れるかわからないし、高い旅費も払ったし(ちょっとゲンキン)、あきらめるわけにはいかない。
8周目 途中、太陽が雲に隠れたり、風が吹いたりすると、足も多少軽くなった。気温が下がってくると走り易くなるから、このまま行けば、大丈夫かなと、思う。
9周目 Aステ前で越田さんに抜かされた。時間が無いと言ってAステへ寄らずに行ってしまった。僕は寄った。Cステで何とか行けるかもと国井さんからいわれた。あたりまえじゃ。90kmタイムアップ4分前到着、少し貯金があると思って、ベビープールに使ったりしたら、2分も経ってしまった。
10周目 プールに入ったときに靴が濡れて、チャポチャポしながら走る。水で足跡が残って行く。最初の1kmが5分!足を冷やすとこうまで回復するのかと感心した。でもクチャクチャいって走るのは気持ちよくないし、ほんとに毎回疲労回復するのか疑わしい、時間がないので、水浴びはこれっきりにした。たまに前方3〜400mに見える人は各ステーションで水浴びをしているらしく、足跡が各ステ毎にくっきりする。次の1kmは緩やかな坂もあって7分近くにまで落ちた。2kmの地点で後ろを確認したけど誰もいなかったので、僕が最終ランナーか。
3km少しの直線でしみじみとなる。この2年間のことを思うと、込み上げるものがあったが、完走できる喜びとゴッチャになって、う〜わからない。3km目は7分ちょっととやっぱり疲れている。Bステの応援の前は目深に帽子をかぶってしまった。最後までありがとう。
Cステで5分の貯金(7分/kmとして)、2分くらい休憩して、出発。Dステタイムアップ5分前に到着。これで一安心。3分休憩して出発。太陽が沈む。18:11 ゴール。薄暗くなっていた。月桂冠をもらって、記念撮影。(ゴール後、握手をした。そこを河合さんが、今、話題のナイトショットでスケスケ撮影)
残りのヨーグルト2個、コーラを飲んだ。体育館で着替える。ジャージを履こうとすると足がつって、なかなかうまく行かなかった。河合さんの車でα−1へ。19:00 α−1でまた泊まることにした。荷物を置いて、顔と頭を洗った。 19:30 グランドエルサン。まだ受け付け係さえ来ていない。小松さんが、データを集計していた。ロビーにプラズマ液晶のテレビが置いてあった。厚さ15cm。くっきりと写っていた。高いんだろうけど、感心した。 20:00 閉会式 記録書授与と一言。全員やるんだから時間がかかった。ボランティアへの記念品、等々。 〜24:00 2次会(セプドール(p25)) ジンライム、これはきつかった。さたさんにみたらし団子をもらった、タレが中に入っていてかむとトロリ。中に入っているから箱詰めできるのだそうで、さすが関西。澤田さんはまた来年も走るようにと菊地さん今野さんらから責められたいた。河合さん国井さんとトライアスロンの話をした。僕は名刺が無い。自分で作ろう。
7:30 起床 LXの音で覚めた。 8:00 朝食 1F、ご飯、味噌汁、漬物、サケ、卵焼き、、、 9:30 チェックアウト 飛行機は14:45発、リムジンバスは鶴岡駅から13:30発と確認して出る。 10:00 駅前のバス乗り場を確認(3番)
駅に入ろうとしたら、たんだいさん他一行と見送る菊地さんがいた。たんだいさんは待合室で昨日の結果をノートPCで自分のホームページに書いていて、横で他の人が見ていた。なかなか、手の込んでいそうなものでした。アドレスを教えてもらったので(NIFTYのたんだい)、帰ってから見よう。
観光事務所に行ってみる。10時2分くらいに開いた。レンタルサイクルを聞いてみると駅の窓口で貸してくれると言う(一日18時まで¥500)。市内の観光案内をおばちゃんが丁寧に詳しく(棒読み風)、教えてくれた。月曜日だから閉館の所が多いいらしい。致道博物館に行くことにした(入館料¥700)。自転車を窓口で貸してもらった(赤色、ちゃんとしたママチャリ)、住所、氏名をノートに記入。かばんが入らないのでロッカーに入れた(¥300)
たんだいさん達を見送った後、菊地さんがコーヒーでもと誘ってくれた。駅に自転車を置いて、スカイラインで移動。
コーヒー(日本一美味しいお店)11:00
〜12:30致道博物館(菊地さんがパスポートを持っていて、そのまま入れた。1年間のパスポート。)
資料館 漁具(川舟、海舟、カニとかを取る網)、民具(背中に充てるもの、にがりを取るもの、つぎあての服)、陶器(日常的な、徳利、茶碗)
あさひ村の民家
(外側) (内側)
あさひ村から移築した昔の多層型の民家(2階までしか上がれなかったが、4階まであった)。雪深くなると2階が出入り口になるそうで、ちゃんと扉が付いていた。使用人、子供等の部屋は小さくて暗い。家の中に牛舎。便所には上から縄が垂れていた(つかまってするのかな?)
庄内藩主の酒井家の家の庭園
藩主は釣り好きだったらしい。
「4,50年前ここの池でザリガニを取っていた」(菊地さん談)
洋館
旧西田川郡役所(階段の左に座っている)
明治の文明開化の趣。一階にはマンモスの時代−縄文−弥生の歴史、薩摩との関係の展示。2階は明治当時の品々。
ここでケッコウ時間が経ってしまった。13:15 昼食 (鮨江戸新(p45)、菊地さんの同級生) 大将はプールで歩いている。 14:00 駅で自転車を返し、荷物を取ってから空港へ。
途中で、空港へ行く途中の田圃のど真ん中で、ジャージ、ゾ ウリ、でっかいカバンの人が歩いていたので声をかけると、昨日走った松本さんで市内からすうっと歩いて空港へ向かう途中だと言うのでビックリ。炎天下、自販機すらないのに、絶対に脱水症になるよ。同乗して空港へ。空港では山本クイズの山本さん夫妻と孫(名前忘れた)がおられた。菊地さんにはお土産までいただいて、ただただ感謝の限りです。こうなったら来年もまた来なくちゃならんなあと思いました。14:45 庄内空港→羽田 ANA898 12F 隣はおばちゃん。気流が乱れていて、振動で起きる。だから機内サービスも無し。 16:00 羽田着 宇部行きの搭乗口を確認しに、搭乗のお姉さんに聞いたら便を早いのにしてくれるって言われた。当初は東京にでも寄ろうかと思って時間を空けていたけど、疲れていて動きたくないので、ずっと待っていようと思っていたので助かった。早割チケットでは便の変更が出来ないと書いてあるけど、当日に空席があれば変更出来るそうです(松本さんも庄内からの便を早めてもらったら良かったのに、空席はあったし)。羽田18:25発を16:45発に変更。出発まで時間があったので、河合さんに今日のことをメールで出す。電話機に線をつなげて立っていると、「あいつは何やってんだ」と、怪訝な視線を少し受けたが、知ったこっちゃない。 16:45 庄内空港→宇部 ANA697 12B 隣はお姉ちゃん(4便とも隣が女性だったけど、何か席指定の決まりでもあるのか?) 18:30 家に到着。たんだいさんのHPをみる。すげー。
ふふふ、ついにもらったぜ!
しかし、実行委員長の判はなんなんだ。
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